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北の端から南の端まで3,000㎞あるこのニッポン。 しかしながら、一体全体それが広いのか? 狭いのか? 実際にはよくわからない。 だが確かなことは『バイクとなら、その隅々までたどり着くことができる』ということだ。 辺境、近境、バイクとともに旅するニッポン、旅バイク。今回は世界に誇る日本の最高峰、富士山周辺を巡っていく。
写真・文=武田大祐:タンデムスタイル創刊から本誌を撮影。正統派ツーリング企画からタンスタ特有の変わり種企画で 歴代編集長のあられもない姿を撮影し続けてきたカメラマン。
ライダー=賀曽利 隆:生涯旅人を貫き通す賀曽利さん。圧倒的な海外走破量もさることながら、日本旅への情熱も冷めず、毎日国内のどこかを旅している。 日本が誇る偉大な民俗学者・宮本常一の弟子であったこともあり、ニッポンに対する造詣もすごい。
今回のツーリングスポットはこちら
- ぐるっと富士山の山麓200㎞
- 十里木高原
- 村山浅間神社
- 須山浅間神社
- 河口御師(おし)の家 梅谷
- 河口浅間神社
- 小さな洞窟に宿る富士山信仰の原点
- 人穴浅間神社の洞窟
- 河口湖
- 青木ヶ原樹海
- 広大な朝霧高原と壮大な開拓物語
- 朝霧高原
- 富士山の知られざる光と影の記憶
- 西湖湖畔
- 西湖いやしの里根場
- 県道730号 パノラマ台付近
- 山中湖
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ぐるっと富士山の山麓200㎞
というわけで、いきなりですが、実走レポートと秘蔵?写真を織り交ぜてツーリングエリアを紹介する新企画『ニッポン、旅バイク』スタートです。第1弾は、日本が世界に誇る名峰・富士山でありまして、担当はせんえつながら私、カメラマンの武田が務めさせていただきます。じつのところタンスタとは創刊当時から付き合いがあり、振り返れば『 ㏄チャレンジ』『日本大陸ツーリング』などなど数々の伝説的企画に携わり、気が付けば 路に達し…。まあ、そんなことはどうでもいいっすね。で、もう一人、忘れちゃいけない旅の大大先輩、賀曽利 隆さんも登場だ。最近はゴールデンタイムの人気テレビにも登場し、ネットをもざわつかせた御仁。生涯旅人も 歳を超えいよいよメジャーデビューか!と思いきや「ちょっと、アレは本当にもうカンベンしてよ」という感じらしい。そんなこんなで、今回71歳と51歳、合わせて122歳という若者向けタンデムスタイルには申し訳ない年齢域ではありますが、以後宜しくどーぞ。
それにしても、せっかく二人して富士山麓へとやってきたのに、肝心の富士山は雲の中。今回の企画的には富士山の絵は必須ではないのだが、目の前に富士山があるのに撮影できないのは非常に残念ではある。雲の中に確かに存在する富士山を見続けている私に向かい「タケダっちさぁ」と賀曽利さん。賀曽利さんとは20年ほどの付き合いになるのだが、いつのころからか私は〝タケダっち〞と呼ばれるようになっていた。で、その御大が「見えそうで見えない富士山っていうのが、これがまた最高にいいよね〜」と持論を展開。武田「どうせ、チラ見えがどうこういう話ですよね」。賀曽利「そうそう、だって女性だってさぁ、バーンって全部見えたらおもしろくないじゃん。いや〜ん♡ってちょっと見えるか見えないくらいがいいよね〜」。武田「まあ…、富士山は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)って、女神の山ですからね。いいんじゃないですか」。賀曽利「そうそう、天照大神の孫のニニギノミコトの嫁さんにされるんだけど、いってみればアレは渡来神と日本古来の神様が一緒になったってことだよね」。武田「ふ〜ん、言われてみればそうですね」賀曽利「だからさあ、富士山は見えなくても女神だけに穴場はいっぱいあるから、大丈夫だよ。ハハハッハ」。武田「あの〜カソリさん、アナタある意味今、日本で一番注目されてるライダーなんですから、発言には気を付けたほうがよいかと…」。賀曽利「何を言っているんだタケダっち! ボクはなんでも言わせてもらうから。じゃあ、穴に向かっていくぜ! 穴穴穴!!」と、富士山が見えない富士山旅はスタートしたのでありました。
十里木高原

村山浅間神社

富士山を周遊する旅は、そのまま世界文化遺産をめぐる旅でもある。村山浅間神社の樹齢1,000年の大杉が見事だ。
須山浅間神社

どこの浅間神社を訪れても巨木が印象的である。 ここも世界文化遺産のひとつ須山浅間神社だ。
河口御師(おし)の家 梅谷

現代に残る河口御師(おし)の家・梅谷。御師とは富士山の浅間神社に参拝に来た人たちのお世話をする人たちのことだ。
河口浅間神社

今回見た浅間神社の中でもとくに見事だったのが河口浅間神社参道にある巨木杉並木だ。樹齢は1,200年。境内には他にも巨木が峻立している。
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小さな洞窟に宿る富士山信仰の原点
さて、賀曽利さんが乗るスズキ・Vストローム250と私が乗るカワサキ・ヴェルシス250Xツアラーを快適に飛ばし、賀曽利さんが主張する穴場ならぬ『人穴』という場所へとやってきた。2013年、富士山が世界文化遺産に認定され俄然注目されたのが富士信仰と富士講というものだ。賀曽利さんによると「世界遺産といっても富士山は白神山地のような自然が認定されたのではなくて、富士山信仰や富士講という文化が評価されて認定されたんだよね。富士山の周りには今も数えきれないほどの浅間神社が残されている」。江戸時代に起こった爆発的な富士信仰が脈々と現代にも受け継がれてきたからこそ、富士山は世界遺産になりえたわけだ。
本来、富士信仰は富士山そのものを神とする自然崇拝で、古来より山岳修行者や修験者が山にこもり崇拝をしていたものだ。が、江戸時代に身禄(みろく)という人物が登場する。この人は商人ながら、激しい修行の末、1733年、富士山の8合めで人類救済を祈祷するために断食をし、 35日目に即身仏になったという人物である。「この身禄の入定後に、弟子たちによって富士信仰の教えが江戸の町民に伝えられ、富士講が広がっていったんですよ。同時に葛飾北斎の『富嶽三十六景』が登場して、すさまじい富士山ブームがおこるんだよね」と賀曽利さん。そして、この富士信仰に興味を惹かれた賀曽利さんは、ことあるごとに各地の浅間神社や江戸の富士塚をめぐり「日本人の心の中にある富士山への憧憬、尊崇の念が相当なものであったことがわかった。それに、現代人がもつ富士山への強烈な想いにも触れられたことに感動したよね」という。
そして、その富士信仰の原点ともいえるのがこの人穴だ。なぜ人穴か? 名前のとおり『人が入った穴』なのだ。富士講を広めたのが身禄だとすれば、開祖にあたるのが身禄の師にあたる長谷川角行といわれている。角行はこの穴に1,000日こもった後、富士山登山百数十回、断食300日などの荒行を敢行、最後は106歳でこの洞窟で入滅したと伝えられている。この穴には数年前まで自由に入れたのだが、今は危険のため立ち入り禁止になっている。その穴をまじまじと眺めていた賀曽利さんは「ここには、富士山信仰の真髄がある」と言うのだった。
ところで、今でこそ整備された人穴だが、かつてここは異界的な空間であり、それゆえかひとつの都市伝説が生まれた。それは『帰りにここの鳥居をバイクで通過するとライダーは必ず事故る』というものだ。過去何度かバイク雑誌の取材でここを訪れているが、そのつど武勇伝で鳴らすライダーたちも、怖がって必ず鳥居を迂回して帰ったものである。しかし、この都市伝説を私から聞いた賀曽利さんは、あっさりと鳥居を通過…。その後も、日本だけでなく、世界を駆け回っている。
人穴浅間神社の洞窟



賀曽利さんいわく「ここぞ富士山信仰の真髄」という人穴浅間神社の洞窟。富士講の開祖が修行と入滅をした場所といわれている。下の2点の写真は2012年以前に撮影。それまでは洞窟内に入ることができたのだ。とてつもなく神秘的な空間で奥には祭壇が作られていた。
河口湖

青木ヶ原樹海

いろいろな意味で有名な青木ヶ原樹海。これも1,200年前に起きた噴火が作り上げたものだ。
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広大な朝霧高原と壮大な開拓物語
さて、無事に人穴見学を終えた我々はVストローム250とヴェルシスX250に乗り込み、朝霧高原を貫く県道71号から国道139号線を走り抜けていく。木花咲耶姫こと富士山は相変わらずツンデレ状態で姿を見せないが、広大な朝霧高原を抜けていく道は気持ちがいい。壮大で『これぞ富士山ツーリングの醍醐味』と呼べる風景が目に飛び込んでくる。
ちなみにこの朝霧高原はほぼ全部が牧草地で、富士山を代表するような牧歌的な光景なわけだが、なんとこの広い牧草地はかつて、長野県の伊那からの移民の方々によって開墾されただ、というのを聞いたことがある。戦後間もない1946年のこと。敗戦の食糧難を打開するためにわずか200名ほどの若者たちがこの地へと送られてきたという。
なぜ移民だったのか? そもそも国内移動で移民という言い方もすごいが、理由はこの一帯が荒れ地すぎて地元の人間が手を着けら
れなかったからなんだとか。それだけに開墾は熾烈を極めたそうだ。電気も水道もなく、軍隊が残した兵舎に住み込んでの日々で「開拓民が地元の嫁をもらうなど論外」とまで言われるほどだったので、他県から見ず知らずの花嫁を集団募集したこともあったという。その花嫁だったおばあちゃんに話を聞いたことがある。「毎日、富士山が眺められるって聞いて嫁いできたんだけど、そりゃもう大変な毎日だったよ。でも富士山が見守ってくれたお陰で生きてこられたよ」。こう語るおばあちゃんの姿は、なんとも言えず印象深いものがあった。この時の不毛の大地を決死の思いで開拓した方々を1世と呼び、現在は2世と3世にあたる方々がこの朝霧の大地を守っているのだ。
朝霧高原

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富士山の知られざる光と影の記憶
相変わらず、富士山は雲の中だ。雲が切れさえすれば、信じられない大きさの富士山が姿を現すはずなのだ。が、逆に言えばあれほど巨大なものを隠してしまうのだから、ある意味自然とはそれはそれで、すごいものがある。そんな自然現象で思い出してやって来たのが西湖の西端の『西湖いやしの里根場』だ。
ここにはかつて美しい茅葺屋根の集落があった。それが昭和41年の台風26号の豪雨の影響で発生した山津波によって、一夜にして壊滅してしまっのだ。昭和41年といえば、そう遠い時代ではない。賀曽利さんは記憶にあるようで「覚えてますよ、小学生だったんすが、足和田地区が大変な被害に遭われたんですよね」と言うほどだ。深夜に発生した山津波は一瞬にして集落を飲み込み、4戸を残し全滅。死者は94人に達したという。村はその後集団移転をし、被災地はしばらく放置されたが、それが2010年に西湖いやしの里根場として蘇ったのだ。
村としてというよりは、往時を再現した観光施設なのだが、 棟もの茅葺集落が立ち並ぶ姿は日本の原風景的光景を見事に再現しているのであった。教えられなければ、かつてここでそんな恐しい災害が起こったなどと、気が付くことはないだろう。美しい富士山ばかりがクローズアップされる昨今、富士山の山麓には、そんな悲しい歴史も刻み込まれている、とあらためて思い知らされたのであった。
その後、再びVストローム250とヴェルシスX250にまたがった我々は国道139号線を東へと走り山中湖へと向かった。この国道139号線は青木ヶ原樹海を貫く道路で、別名・樹海道路と呼ばれている。約1200年前の富士山の大噴火で流れ出た溶岩が、それまで一つの巨大な湖だった場所に流れ込み富士五湖を形成したわけだが、その溶岩の上に出来たのが樹海なのである。なんともスケールの大きすぎる話ではあるが、地球規模では富士山の樹海というのはまだ若いものらしい。さて、賀曽利さんと私は山中湖に到着し、湖岸へとバイクを停めた。時間的には夕暮れ時なので、雲がなければ、夕日を背にした富士山と赤く染まる湖が見れるはずだが、今日はトコトンお預けだ。そしてどこまでも前向きな賀曽利さんは「いや〜これもまたすばらしい光景だよね」と笑うのだった。
『確かに自然には逆らえない。こんな日もあるよな』と私も完全にあきらめて「いやはや、本当にすばらしい」と開きなおるのだった。それに思えば、富士山の富士は決して滅びることのない不死を意味してるともいうし、富士山がそこにある限り、また来りゃいいかという按配で、賀曽利さんと私はお姫さまにしばしの別れを告げると、それぞれのバイクにまたがったのであった。
西湖湖畔

西湖いやしの里根場

昭和41年、山津波によって壊滅してしまった足和田地区。その場所が『西湖いやしの里根場』として復活。往時を知る意味でも一度は訪れたい場所だ。
県道730号 パノラマ台付近

山中湖


旅の最後は山中湖。上の写真はだいたい同じ場所なのだが、やっぱり富士山の姿が見える/見えないでが歴然の差があるわけで、結局のところチラ見の富士山よりクッキリ富士山の方がいいですね。
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※本記事は2019年3月24日発刊のタンデムスタイルに掲載されたものを再編集しています。


















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